過去の記事


その5. InCider/A+ 最終号

 

左上の写真は1988年のアップル・フェスティバルでもらったAppleIIの専門誌「InCider」のバッジです。私は当時ニューヨークに住んでいましたが、ウォズニアクのキースピーチが聞きたくてサンフランシスコまででかけました。その頃はもちろんインターネットとかいう便利なものはあまり利用されていなかったので、新しい情報を素早く入手するために、こういうエキジビションに参加するパソコンマニアの人が多かったようです。キースピーチの開始時間が大幅に遅れ、帰りの飛行機の予定もあって、残念ながらウォズニアクのスピーチの途中で会場を後にしなければなりませんでした。写真中央はスピーチをするウォズニアクですが、ちょっとピンボケになってしまいました(クリックすると拡大します)。

ところで、「InCider」というのは奇妙な名前ですが、「Insider」と、りんごジュースを意味する「Cider」とを掛けた駄洒落ではないかと思います。写真右は記念に取ってある最終号です(1993年7月号)。表紙の「INTERNET」の文字が目を引きます。ちょうどインターネットが話題になり始めた頃でした。

もともと私はInCiderのライバル誌「A+」を定期購読していたのですが、ある号から突然InCider誌と合併し、「InCider/A+」と名前を変えて送られてくるようになりました。1989年のことです。当時Macintoshの出現でApple IIはシェアを失いつつあり、ハード、ソフトともに新製品の登場が次第に少なくなっていました。ニュースも減り、広告も減って、なんとか生き残りを図るための両誌の合併だったと思います。更に1990年頃からはMacの記事も載せ始め読者層の拡大を試みましたが、それがかえって既存のApple IIファンの読者から反感を買ったようです。どうにも打開策が見出せないまま遂に1993年7月号を最後に突然発行を停止します。その前兆はありました。号を追うたびにページ数が減っていきましたから。最終号はたった48ページしかなく、これは雑誌と言うよりもパンフレットに近いです。

InCider/A+の廃刊はApple IIにとって致命的な一撃となりました。それはApple IIがもうビジネスとしては成り立たないことを意味していましたから。


メインメニューに戻る

inserted by FC2 system